3 title story
魚/地球儀/むかしばなし



from 大和

「干物の話」


 「こうして人と話をするのは何年ぶりだろうなぁ…。まさかあなたが会いに来てくれるなんて思わなかったよ。でも、いつか会えると信じていた。ずっと長い間待っていたんだ。あなたに会えるまでは絶対に死ねないと思ったから。体は死んでしまったけれど、心だけでもいいから生きていたかった。何もかも忘れないで、私の心のままで。あなたに会う日まで。

 こうしてあなたに会えても、何から話していいかわからないね…。吃驚してしまったのと嬉しいので干からびてしまった心臓がドキドキいいそうなくらいだよ。

 見ての通り、私はずっと昔に死んでしまったんだ。五十六億七千万年くらい、前になるのかな。もう、笑うなよ。私には本当にそれくらいに感じるんだ。それくらい、ずっとずっと待っていたんだ…。

 はぁ…。もう、言葉ってなんでこんなにまどろっこしいんだろう。私の今の思いだけをそのままあなたに伝えられたらいいのに。伝えたいのに。…本当、伝えたい思いは山程あるんだ。それなのに。どうして言葉は過去のことしか表現できないだろう。今思ったことを伝えたいと思って言葉にしても、それは言葉にした時点でそれはもう過去なんだ。それに言葉ってのは結局、誰かが昔に作った決まりごとなわけだしね。胸の中一杯に詰まった思いが切実であるほど、言葉は空回りする。出来の悪い昔話みたいに、滑稽で薄ら寒い感触ばかりがつのっていく。そうだ。いっそのこと昔話をしてみようか。いいじゃないか、今更急ぐこともあるまい。そのうちにきっと、あなたに伝えたい唯一の言葉を思い出すから。」


 「私は、今はもう止めてしまったけど、死んでしまってからしばらくは生まれ変わりを続けていたんだ。『あなたの世界』が実現するまでまだまだかなりの時間があったし、色々な国を見てみたかった。この世で学べることは全て学んでおきたかったんだ。それがいずれこの世界の役に立つと思ったし、いずれ来る『あなたの世界』にも貢献できると思ったからね。

 さながら大海を自由に泳ぎまわる伝説の竜のようだったよ。気の向くまま現世に現れては修行を重ねた。今の私にとっては世界中の人が家族のように思えるんだ。ヨーロッパ、アフリカ、東アジア、南アメリカ…。どの国にも思いでがあり、どの種族の人々も、過去に私の家族や友達だったのだからね。

 でもね、数回生まれ変わりを経験するうちに妙なことに気がついたんだ。

 私は何度生まれ変わっても男なんだよ。百年たっても二百年たってもそれは変わらなかった。世界中どこの国の人間にもなれるのに、女にはなれないなんて妙な話だとは思わないか。職業だって医者や科学者や芸術家、大工にもなれたし船頭にもなれた。もちろん宗教家にもね。でもいつも男なんだ。

 私は人生と言うものに飽き始めていたのかもしれないな…。止めておけばいいものを、全てを知り尽くすと言う名目の下に、私は女になることを決意したんだ。

 それはあっけなく成功したよ。女になれって念じるだけで次の世では女になることが出来たんだから。感動だったね。男と女は同じ人間だけど、感じる世界は全く違うんだから。体に行き渡る神経が男よりも多いような感じかな…。恐ろしいくらいに色んな物を感じるんだ。女は救われない生き物だって教えられてきたけれど、本当にそうかもしれないなって思ったんだ。男尊女卑なんて言うなよ?それはね、女のほうが欲深いからじゃない。女は皆それぞれ悟りを持って生きているんだ。そうしなければ生きていけないほど、女の世は刺激的だ。毎月血を垂れ流し、生みの苦しみを喜びとする。女の体は命を通す道だ。だから男よりもずっと大地に近い。苦しみも悲しみも体を通して浄化する。生き物としてとても機能的な体だ。

 私はすぐに夢中になったよ。これこそが私の求めていた世界だと思った。経典に書かれていたことを初めて身をもって実感したよ。この体で感じたことこそが真実だって叫びだしたかった。山岳修行をしたって言っても、結局頭で考えてばかりの過去の自分を笑い飛ばしてやりたくなったよ。

 けれど、女の世界を繰り返していくとまた、何か物足りないような気がしてきたんだ。女は強い生き物だ。でも同時にその強さは弱さでもある。鋭すぎる感覚は何かを成し遂げるには向かない。生き物として完成しすぎた体は道具として使うには持て余してしまうんだ。大地と繋がっていると言うことは、大地に縛られているのと同じ。遠くに羽ばたくには重すぎた。
 私は結局その体も捨てることにした。そして男の体に戻ったんだ。」


 「それから何回、人生を経験しただろう。今の私の頭の中にはありとあらゆる知識が詰まっているよ。本当に神に近づいた気分さ。
でも、何に生まれ変わろうとも、この世界にあるものは結局のところ同じなんだ。生まれては死に。回り続ける。変わり続けながら、結局大きな目で見れば同じ事の繰り返しなんだ。

 私は心底後悔したよ。人の身であり続けながら、悟ることも出来ず、神々の世界を見続けるのは苦痛以外の何物でもない。同じ輪廻でも一回一回記憶を失くせば新たな気持ちでやり直すことも出来たのだろうが…。

 私はあなたを待ち焦がれたよ。しかしあなたは中々現れなかった。だから私は自らの手でこの永遠のループを終わらせることにしたんだ。」


 「呆れるのも尤もだよ。あなたが今触っているもの、それが今の世を表す模型だよ。ひどいもんだろう。でもその醜さが好きなんだ。まぁ、私が世界をそんな風にしたんだから当たり前だけどね。私は持てる知識をフル活用してこの世を破滅に導いたのさ。まぁ、それはとても簡単なことだったがね。

 人間にとって一番の毒はなんだと思う?核や細菌兵器なんて、それの前には単なるオモチャさ。…それはね、心の闇だよ。疑い。貪り。怒り。驕り。そういうものを煽りに煽った。そしたら人々は勝手に自滅しだしたんだ。世界のあらゆる命を食って、食い尽くした。己が生きていればそれでいい。そう考えるようになった人間は結局自分の首を絞めることになったんだ。ほら、大陸の形も昔とは大きく変わってしまっただろう。大きな戦争があったんだ。それに地球上の氷は随分昔に全部溶けちゃったしね。陸が少なくなって、それを示す色も緑から灰色に変わってしまっただろ。本当に、私はそれを見ると安心するんだよ。そこではもう何も繰り返すものがないんだからね。終わりもないし、始まりも無い。つまりは悟りの世界ってわけさ。」


 「私はもう、ずっと、この干からびた体の中に居続けているんだ。
 この体は私が始めて得た体だ。この体は弟子たちが防腐処理をしてミイラになっているものを仮の住処にしている。見てくれよ。以前はあんなにも生き生きと泳ぎ回っていたのに、今じゃみすぼらしい干物になってしまった。この、誰も居ない世界でね。
 うーん…。多分人間はもう、この世界には生きていないんじゃないかな。私の知らないところで生きているのかもしれないけれど、きっと今まで生き残ったと言うことは相当善良な者たちなんだろう。心の毒に犯されなかった者しか生きてはいけない世界にしてしまったから。そんな者共のために、あなたはここまでやって来て、教えを説くんだろう?私は随分昔に、その教えを聞く資格を失ってしまったが。」


 あぁ、そうだ…。
 ようやくあなたに言いたかったことを思い出したよ。


 「私を救ってください」








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