深紅の誘い

ーan overture to be the cantataー

武能 子音

ーREAL SIDEー

俺が始めて手首に傷を付けた日
溢れる紅に浸した煙草を旨いと感じ始めた日
選択肢が大幅に狭まった瞬間…
…全ての始まりの日

俺は待つことに決めた
不確定の救いを信じてみようと決めた
どうせ他にする事なんてないし
すべき事も、したい事もない

…ならばもういいじゃないか
俺は深紅に魅せられてしまった
俺は深淵に臨んでしまったのだ
ならば信じてみようじゃないか…

…暖かい闇をちらりと覗かせたあの夢が 真実である事を…

     

ーDREAM SIDEー

 目の前に、沢山の動物たちの屍骸があった。
 無造作に積まれた彼らは、様々な表情をしていた。
 …かつて表情が存在していたとは思えないほどに溶け崩れているものもあった。
 俺は動物が割と好きなほうだ。
 だからこういう時は、感情を抑え込むようにしている。
 そうしないと、元々ネガティブな思考が益々そちらに傾いてしまうからだ。

 俺は何とはなしにしゃがみ込み、片手で頭を抱えた。
 へたり込んだようにも見えたかもしれない。
 でも周りには物言わぬ骸しか存在していなかったので、頭痛も吐き気も存在意義も気にはならかった
 ただただぼんやりと、空しい死の風景を眺めているだけでよかった。

どれほど時間が経ったのか…
 視界の隅で何かが動いた気がして、ふと、俺は顔を上げそれを探した。
 …とりあえず、それは人だったようだ。
 鍔付きの帽子を深めに被り、長い長いコートの裾を、血や溶け合った肉で汚しながら、あちこちに散らばっている屍骸を一つ一つ丹念に調べている(様に見える)姿は、まるで絵の中の探偵だった。
 黒尽くめである事と、足が完璧に見えない位に長いコートを見逃せば、ではあるが。

「…何やってんの?」  そいつがこちらを向くのを見計らって、俺は、そう声をかけてみた。
「お…?」
 帽子の鍔と、その陰の所為で彼の顔は全く見えなかったのだが、間抜けな感じに開いた口と、語尾に付いた疑問符から、彼が驚いているらしいことはわかった。

「何やってんの?」  今度はもう少しはっきりと大きめに問いかけてみる。
 彼は答えず、諌めるような仕草をしながら、俺の方へ歩いてくる。
 流れるような動き…
 コートは揺れているが、歩いているようには見えなかった。
探偵…?違う。幽霊みたいだ…
 見たこともないし信じてもないが、何となくそう思った。
 でも俺は、別に驚いたりはしなかった。
 

ー…当たり前だ。これは、だって夢なんだから…ー

「こりゃ驚いた…こんな所で生きてるモンに出くわすたぁな…」

俺の目前に辿り着いて、ようやく彼は言葉を発した。
 帽子に手をやったので、大袈裟な挨拶でもするのかと思ったら…何のことはない。
 彼は、単に帽子が落ちないように気を回しただけだったらしい。
「へへっ…あんたこそ、一体全体何だってこんなとこにいるんだ?いや、そもそもどうやってココに来た?こんな…中途半端な所によ…?」
 物珍しさと警戒が4:6位の割合で混在した口調で彼は俺に問う。
「俺の同類…でもねぇ様だしな。なんなんだ?なんだってんだ?あんたぁ何モンだ?問題なけりゃ俺に教えてみろよ」
 それはつまり…教えなければ「問題あり」ということか。
 しかし…教えるも何も、これは夢だろが…
 それ以外に、どんな解釈ができるんだ?
 …こんな昏い空間、明らかに、現実ではない。
 現実じゃないんだから、これは夢だ。
 ただの夢なんだ。

「俺は眠りに就いただけだ。初めて自分の手で流した血に塗れてさ…。死んではいないぜ?そうでなきゃ、こんな夢なんて見ないだろ?」
 正直に話してみたが、彼は思い切り首を捻っている。
「夢…?確かにココと『夢』とやらに共通項があるってのは聞いたことがあるが…だがそりゃ所詮机上の空論のはず…。『使命』を抱くに相応しくない、ロマンチシズムってモンを備えた奴の戯言のはずなんだが…」
「……使命?」
 不可解な言葉の羅列。
 眉を顰め問い返してみると、彼は一つ咳払いをしてから再び口を開いた。
「ッホン……まぁいいさ。そーゆー事にしといてやるよ。…それに俺は常に退屈してるしな。あんたに少し、付き合うとしよう。で、なんだ…俺がここで、何をしてるかって質問だったか?」
 俺は軽く頷いた。
 彼の口元が、にやり、と吊上がった。

「俺はな、ここで、この朽ち果てしまってるこいつ等の魂を持ってったのが誰なのかを調べてるのさ」

「簡単に言やぁ、ここは入管さ。入国管理局。わかるか?…ならいい。欲を聞いてもらえるなら、寂しいオヤジの冗談に笑ってほしい所なんだがなぁ…」
 素直に従ってやると、彼は破顔し、本当に嬉しそうに笑った。
「…見た目より随分とノリがいいじゃねぇか。こいつぁ嬉しいねぇ…嬉しい嬉しい。つまり楽しい…ってな?
「…口止めされてるわけじゃねぇ。そんな命令を出せる奴なんていないしな。だから俺が知ってる範囲なら、なんでも質問を受け付けてやるぜ?『夢』ってのを大前提に置いて、それでいて真面目に俺の話を聞いてくれんなら、だけどな」

 楽しいのは俺の方だ。
 こんなにまともに会話が成立する夢なんて、俺はみたことがないのだから。

俺は少し考える素振りを見せ、おもむろに深く頷き、最初の質問の答えを促した。
「…どうせなら理解した上で笑ってもらいたかったんだがな。仕方ねぇか。あんたにとっちゃ、所詮俺も夢の住人だ。…いやそうでなきゃ困るんだけどよ…
「まあいいか…で、俺が何をしてたかってな…わかりやすく言うと、誰が…もしくは何が、こいつらを死に至らしめたのかって事を調査してたのさ。
「善意とか正義感からじゃねぇぞ?単にそれが俺の『使命』であり自主的な『仕事』…ボランティアなだけだ
「それ以外にやることが、未だ成仏できない俺には無かったのさ…
「何分、俺ぁここに長いこと留まってもんでな…『奴ら』とも結構面識があったからなぁ…
「未練も恨みも、なーんにも残しちゃいないってのによ…だからこそなのかもしれないが、俺はここに『在る』事しかできなくなっちまったんだ
「『奴ら』の中で決まってる暗黙の了解事項ルールを破ってるモンがいないかどうか…それを確かめることが、俺の存在意義なのさ」

「『奴ら』…?」
 彼の話は納得できるどころか、疑問ばかりがふつふつと、次から次へと沸いてくる。
     次元が違う。
 …ここは、いったい何なんだろう…
 正直、彼の経歴や現状についてはなんの関心も無い。
 …もう少し歩み寄ってはもらえないだろうか…

「……っ!
「…すまんすまん、ちっと飛んでいたようだ…『奴ら』…
 一拍置いて
「『奴ら』ってのはな、あんたらの言う『死神』のことさ」

 …あー、そう…死神、ねぇ……
 ……変な夢…飛躍し過ぎだっての…

「おいおい、真面目に聞くって約束だろ?」  俺の動揺が伝わったらしい。彼は苦笑して俺に忠告を発する。
「…まさか、死神って言葉を知らねぇってわけじゃねぇだろがよ?」
 真面目に…か。
 勿論単語としてなら知ってはいる。それは一般常識だ。
 そして、その単語には様々な用法があるのも知っている。

死を知らせるもの
死をもたらすもの
死に至らしめるもの
死の甘美さを囁くもの

ぱっと浮かぶのはこの程度だが、調べればまだまだあることだろう。
 だから俺は、彼の言う『死神』が一体どんなものなのか、全く想像がつかない。

思ったことをそのまま口に出してみると、彼は何故か満足げに頷いた。

「その通り…『死神』ってのは一概には言えない存在だ。
「あんたの言うこたぁ正しいんだぜ?だから俺ぁ『奴ら』と称したのさ。
「死の予言 死の運搬 死の蔓延…
「寿命 殺人 自殺…
「戦争 伝染病 そして終末…
「およそ『死』というものに、奴らが関与していないことなんてありえねぇんだ。
「人間だけじゃねぇぜ?人間以外の動物…植物…極端に言えばクォークから宇宙にも、だ。
「…あぁクォークってのはな、一番ちっこい構成物質さ。元素すらそれからできてるらしいぜ。
「そうそう『災害』も勿論奴らの仕業さ。俺と面識のある奴らとは格が違う。
「それは、まだ人間がクソ厄介な『知恵』ってやつをを身につけてない頃に、先んじて死んだ奴らの集合体が起こしているらしい…つまり神様だ。自然の神、な?でか過ぎるから会ってもどうせわかんねぇんだろうけどよ…
「幾ら何かを産み出したって、そいつは奪う力だって持ってんだ。表裏一体。摂理の理。
「世界が死で溢れているのは、世界が死神で溢れ返っているからなのさ…
「…ちょっと強引か?けどな、これは事実だ。真実なんだ。ここにいる間だけでいい…あんたが目を醒ますまでのほんの少しの間だけでも、それを信じてみろ。
「あぁ?別にご利益があるってわけじゃねぇよ。
「だってあんたが信じなけりゃ、俺ぁ喋り損だろがよ…」

そこまで一気に喋って、彼は大きな溜息を吐いた。
 ポケットを漁り、よれよれで血塗れの煙草を取り出して咥え、旨そうに煙を吐いた。
 その煙の色は、真っ赤だった。

ーDREAM SIDEUー

「…なあ?」

 深紅の煙草と、軽いメンソールの煙草を交換してもらい、なかなかにご満悦の俺は、いつの間にか胡散臭い彼の話を本当に信じる気持ちになっていた。
 同時に、俺はある欲望が心の奥底で燻り始めたのを感じていた…

「…『終末』をもたらす死神ってどんな奴なんだ?」
     

嬉しそうにメンソールを咥えていた彼は、俺の言葉で瞬時に厳しい顔つきになった。
 旨そうに吸っていた煙草を吐き捨て、大きく一歩踏み出し、俺の胸倉を掴み上げた。

「…なんで『それ』がいることを知っている…っ!?」

 突然のことに驚き、必死に抵抗を試みるが、もがけばもがく程に彼の力は強くなる。

「…まさかこないだの一件はてめぇの仕業なのかおい!さっさと答えやがれっ!?」

…何のことだ…俺は何もしてないぞ…こんなに形相を変えて詰め寄られるようなことなんか、何一つ…何一つ出来ないから、俺は…俺はこんな夢を見ているんじゃないのか…何かをしたいと…何かを成したいと…本当は願っていたからきっと…俺はこんな所に来てしまったんだ…

「訳のわからん事をってんじゃねぇ…。俺が聞いてんのぁ手前がなんで『奴』の事を知ってるのかってことな・ん・だ・よっ!!」

なんでって…あんたがさっき言ったんじゃないか…変な煙草吸ってるから、頭・呆けてんじゃないのか?…
 ちくしょう…何で夢の中なのに…こんなに苦しいんだ…??

「…俺が言っただと…?そんな、馬鹿な…。『奴』の事は厳重に封じられている筈…」

 何事か呟いたと思ったら、いきなりはっと表情を強張らせ、彼は俺を解放した。
 …放り投げた、と言った方が正しいかもしれない。

 深紅の空気を思い切り吸い込んでしまい、噎せまくっている俺に目もくれず、彼は何やら真剣に考え込んでいるようだった。
 時折「まさか…」「だが…」「だとすると…」などと呟いているのは聞こえたが、重要と思われる部分は何一つ、俺の耳に届いては来なかった。
 俺は途方に暮れ、身動きも取れず、そんな彼の姿を眺める事しか出来なかった…

 …やがて彼は、何度か小さく頷いて、ゆっくりと俺に向き直った。

「悪かった…と言うべきだな…。本来なら『奴』と言う事さえ禁じられている俺が、カッとなったからとは言え、何の抵抗も無しにそれと口に出来ちまった…
「それが何故か…っつう事は流石に言えねぇんだが…だが、まあ…それなら確かに、あんたに言っちまってたとしても、何ら不思議じゃねぇよなぁ…
    「…つー訳だからよ、悪りぃが煙草、もう一本貰えねぇか?」

 彼にしては随分と歯切れの悪い物言いだった。
 だが、帽子をより深く被り直し、自分が捨てた煙草を情けなく指差して、と、見るからに落ち込んだ様子の彼の言葉を、疑うつもりはなかった。

 新しい煙草を渡し、彼が火を点けるのを見て、俺は先ほどよりは慎重に言葉を選び、再び問いかけてみた。

「その…『奴』に関することは、結局教えては貰えないのか?俺は、単に興味が沸いただけなんだが…」
「教えられねぇ…と本来は突っ撥ねるべきなんだけどな。しかしこの状況は、特別すぎる。異常すぎるんだよ…だから、最初に言ったように、俺の知る範囲で…そして俺の理性が許す範囲でなら教えてやらないこともない…」  複雑な表情をしている割に、やけにきっぱりとした口調だった。
「だが、俺があんたに付き合ってやれるのはその質問の解答を終える時までだ。だから、他に何か聞きたい事があるんなら、そっちを先にしろ。」

 少し考えさせてくれ、と言うと、彼は『仕事をしながら待っててやるぜ』と言って、屍骸の検分に戻っていった。

 暗い、のではなく昏い世界。
 純粋な黒でなく、赤黒いグロテスクな空間。
 …母の胎内とはこんな景色なのだろうか?
 輝きを失った魂の欠片が点在している。
 徐々に原型を失っていく屍骸…吸収されているようにも思える。
 …世界に?空間に?彼に?奴らに?『奴』に?
 それとも、俺に?

「…ここはどこなんだ?」
 独り言のつもりだったが、彼は律儀に反応を返してくれた。
「今更かい?ちっと遅すぎんじゃねぇか…?」
 鼻で笑われた。
「これも説明しにくいんだがなぁ…
「…ここは単なる中継地点さ。中間地点か?そっちでもいいが、まぁそんな感じの所さ。
「幽霊の溜まり場、と言ってもいいか。
「とりあえず、死んだものはここに来る。何であれな。
「…あぁ勿論『ここ』ってのはここ…俺とあんたが今いる所以外にも沢山ある。
「厳密に言えば、ここは場所ではなく、ただの空間だからな。
「ここはどこにでもある場所さ。俺がいりゃあどこだって『ここ』になるんだ。
「あんたら、生きてる奴等や、すんなり成仏しちまえる奴等には、本来なら知る事の出来ないトコだ
「ここは潜在的に偏在している所で、中途半端な俺みたいな奴だけが『動』を続ける事を許されている半端な所だ
「…と、こんなもんか…わかったか?わかんねぇならそれでいい…寧ろ忘れちまいな…」
    

言い終えると、彼は再び仕事に戻った。
 …彼の仕事は非常に丁寧だったが、速度が恐ろしく速い。
 そして、彼が調べ終えた屍骸は、彼が目線を外したと同時に『空間』の中で霧散していく。
 何なのかわからない『ここ』で、そうして消えてゆく彼らはどこに行くのだろうか?
 …先ほどの彼の説明を踏まえて考えてみると、『あの世』としか思えないのだが…

「天国とか地獄、そもそも『あの世』ってのは本当に存在しているのか?

 彼は失笑して、今度は簡潔に答えた。

「しらねぇよ…俺はまだ『死』を完全に終えてないんだからな」

 少し間をおいて立ち上がった彼は、俺に背を向けたまま逆に問い掛けてくる。

「…あんたはどう思う?俺がいつか『死』を完全に消費し尽くしたら、俺はどこに行くんだと思う?」

「…俺はそれらを信じていない。あんたは『死』んだら消滅するだけだと思う…今やってる『仕事』も『使命』も、曖昧な姿も、どこか投遣りな性格も、全部が完璧に無くなって、全部に忘れ去られるのを待つだけになるだろう」
「…じゃあ何で俺にその存在の真偽を聞いた?無いって事を信じてるんじゃないのか?」
「信じてないだけだ。その裏を信じてるわけじゃない。事実や真実だと告げられれば、それを受け入れられる位の余裕はあるのさ。
「…俺の容量キャパスカスカだし、余りまくってるからさー…」
 自嘲気味にそう言うと、彼は初めて柔らかく微笑し、努めて軽薄な口調で慰め(?)をくれた。

「そうそう、死ななきゃわかんねー事だからなー?だが手付かずの、解答無しの疑問がなけりゃあ、『死ぬ』ってのもほとほとつまんねーモンだ…とそう思わねぇか?
「俺が『死』んだらどうなるかって、俺が思ってる事もあんたと殆ど同じなんだけどよ、でもとりあえず、それを考えてる間は俺はまだ死んでいるわけじゃねぇ。
「別にこのままでい続けたいって訳でもねぇんだがよ、それでも…あー、あー…そうそう、答えの判らないモンがあるってだけで、一人でも独りでも、ほんのほんの僅かだが、楽しくなれんのさ
「だからよ、あんたもそんな自分を悲しむなよ。
「自分の中が風通り良過ぎるってんなら、ひとまず疑問を詰め込みまくってみろや?
「それだけでも大分違うはずだぜ?な?」

 生憎と俺は、悩む事を趣味…或いは生き甲斐に選ぶつもりなんて無かったのだが…
 熱く語らってくれた彼の意思を無下にはしたくなかったので、この場にいる間だけでも、そうして『生きる』努力をしてみようか…

 肯定として苦笑を向けると、彼は照れ臭そうに笑い、一つだけぽつんと取り残されている屍骸を跨ぎ、最初の時よりも若干早い動作で俺の傍に戻ってきた。
「へへへっ…渇を入れるなんて随分と久しぶりだ…いや、二度とする機会なんて無いもんだと思ってたんだがなぁ…
「しかし…俺としても残念ではあるんだが…そろそろお開きにしたほうが良さそうだぜ?
「ここは切り離された空間ではあるが、時間って概念は一応存在してんだ
「あんたの方の時間とは、勿論全然違うものだが、だからこそあんたにとっては厄介なもんだ
「あそこに、俺は一つだけ屍骸を残してきただろ?
「あれの検分を終えちまえば、最初にここにあったのと同じ数の屍骸が集まってる時間に移動しちまうんだ。
「つまり強制的に時間を飛ばされちまうわけだ。
「俺としては何の問題も無い。それしかやる事がないから、それをしていない時間を過ごす事は、俺にとって最悪の拷問だ。…まぁ、俺が無意識にやってる事なんだけどよ…
「あんたにとって、厄介だ・って言った意味がわかったか?」

 そこまで説明してもらえば普通にわかる。
 彼があの屍骸を診終えてしまえば、俺は瞬時にして数日後、ないしは数週間後、下手をすれば数ヵ月後に移動してしまう、ということだろう
 …しかし、彼は俺の答えに首を振った。

「そいつぁぬるくて甘ったるい考えだぜ…
「いいか?そもそもあんたはここにいるべき存在じゃねぇんだ
「今はこの空間に定着できてるようだが、俺が次に移動する空間でもそのままでいられる保証は無い。
「保証が無いどころか、移動に付いて来れるかどうかもわからねぇんだ…
「さて、移動できず、置いてけぼりを食らうあんたはどうなるか…?
「前例が無いんで断言はできねぇが、絶っっっ対に!ロクな事にならねぇ!
「……杞憂だって言いたいのか?本気で信じちゃいねぇんだろ?
「未だこれが夢だって手前が思ってるんならそれでいいさ…だが今のこの空間では俺が法だ。
「手前には、俺の心配を受け入れる義務がある。
「…そうさ、俺は心配してんのさ。あんたは珍しい奴だからな
「…あんたが無事に戻れれば、また会う事が出来るかもしれない、と、俺は希望を持ち続ける事ができる
「なぁ、頼むよ…折角増えた俺の楽しみを、くだらねぇ事で取り上げないでくれ…」

怒りと、懇願に圧倒され、残る質問は『奴』に関すること以外に後一つだけ、との彼の言葉に反射的に頷いてしまっていた。
 …勿体無い…

「で?最後の自由質問は何だ?決まったか?」
 煙草に火を点けると同時に、せっかちに促される。
 一番聞きたい事は既にわかっていたが、それが彼を再び逆上させてしまうかもしれないと思い、俺は、かなり躊躇していたのだ。
 ……俺の思ってる事が聞こえてんだろ?どうなんだ?あんたは、それに関して俺が質問する事で、また俺の胸倉掴み上げたりしやしないか…?
「それが質問なのか?俺が怒るかどうかだけが聞きたいのか…?
「はっ!それでも男かよ?女々しいったらねぇ…情けないったらねぇぜ…」
 …せめて殺さないでくれよと願いつつ、俺はそれを口にした。

「…俺は死神になる方法を知りたい…」

「…何の為に?」

「……なんとなく」

 さて、正直に話したが…反応は如何に…?

「…方法なんてねぇよ」
     

 予想に反して、彼は怒りもせず、掴みかかってもこず、溜息も吐かず、鼻で笑いもしなかった。
 …つまりノー・リアクション。
 余りのあっけなさに、俺は面食らってしまった。
 …空しい…一瞬で空っぽに逆戻り…?

「…解説してやろうか?」
 そう言った彼の口元は、にんまりと笑っていた。
 …単にはしゃいでいるだけなのか元々の性格なのか…
 じとーっと眺める俺の視線を軽く受け流して、彼は、また長い『解説』を始める…

「…死神になる『完全』な方法はない。
「なる奴は自然と方法を与えられるし、なれねぇ奴はどうしたってなれねーんだよ
「基本的には、俺がさっきから言ってる『使命』って奴があるかどうか…
「俺の『仕事』にはそれを見つけてやるってのも含まれてる
「おっとと…お前のは無理だ。俺にはわかんねぇ…
「正式な順序でここに来た奴のしかわからねぇみたいだな。
「…そんながっかりすんなぁよ!可能性は無いわけじゃないだろ?俺にしてみりゃ、そんなもんがあって嬉しいとは絶対に思わねぇんだがよ…珍しい通り越していかれてるぜ、あんた…
「…そうそう、これもさっき言ったと思うが、今現在、世界には死が溢れかえっちまってる
「だからここ何世紀か、新しい死神ってのは全然でてきてねぇらしい
「…そう。新しいのは、な。
「しかし『使命』を持ってる奴だけなら結構いるんだよ、これが…
「だからな?最近では専ら『就任』じゃなく『引継ぎ』でもって、これ以上の『死』の過密化を防いでいる
「…誰が、だって?さあ…誰なんだろうな。気紛れで有名な、全知全能の神様ってやつじゃねぇか?
「…おーいおい!納得しちまうのかよっ!冗談だよジョーダン!
「それはそれとして…とにかく、大前提として『使命』を持ってなけりゃ、死神って存在を知るだけでも無駄だって事だ
「まあ、逆に言えば、もしあんたが『使命』を持ってるとすれば…道はおのずと開かれる、って事さ…
「…こんなもんでいいか?」

 『使命』…
 己で望み、己で選び取り、己で貫くそれとはまた違う意味での、『運命』と言う言葉によく似た意味を持つモノ、か。
 主題が『死神』でなければ、殆どの人間が欲しいと望むのではないだろうか?

ーお前には『使命』があるー
…事実は小説より奇異なり…
 そんな事を言われたら、心が躍り来るって死んでしまうかもしれない。
 …だが所詮これは『夢』だ。
 安易に希望を持つ事は、絶望に堕ちるきっかけにしかならないであろう。
 だから俺は、本能が何と叫んでいたとしても、これが『夢』だと思い込まななくてはならない…

 …どんなにそれを欲したとしても。
 …どんなにそれを信じたがっているとしても。
 …どんなにそれに、憧れたとしても…

…ん?なにか重要な事を聞き忘れている気がする…

「お、やっと気がついたか?」

彼は『使命』を知ることが出来る。
 『使命』は正式な手順で『ここ』に来なければ知る事が出来ない…
 生きているものが『ここ』にいる事は異常……
 正式な手順……『死神』によって『死ぬ』ということ…?

 つまり、一度死ななきゃ『死神』になれない?

「その通り!いやー、その頭、飾りじゃなくて良かった良かった…」
「………………」

 …楽しそうで何より。
 本気で睨み付けてみた。
 …意に介した様子・完璧に零★
 …まあ、また一つ真実を知れたからいいか…いいとしておこう…頑張れ俺…

「いじけんなって…自分で気付いた褒美に、お前の事触れ回っといてやっからよ?な?」

 …それはいい事なのか?
 それにしてもあんた、くだけ過ぎだって…

「いい事に決まってんだろが。直々に死神サマと面識が出来るかもしれないんだぜ?
「喜んどけって!」

    …あー嬉しい。このご恩は忘れねーよ。

「さて、と…んじゃお待ちかねの締め括りと行くか…」

俺の機嫌がそこそこに回復するのを待って、彼は声を張り上げ、フィナーレを予言した。
 俺は黙って、彼を見上げる。

「…俺は伝え聞いただけだから、随分と抽象的で、不親切な話になっちまうんだが…」
「…『奴』は実際にまだ現れた事はない。しかしいつか必ず現れる…『奴』は、最高で最低の死神だ」

「終末をもたらす死神…恐怖の大王…ラグナロク…ハルマゲドン…
「全ての世界に、平等に終末を与える者
「この空間よりも、もっともっと毒々しい、痛々しい、禍禍しい深紅の死神…
「破滅的な4枚の紅い翼…形状は、絵本などに描かれる天使のそれによく似ているらしい
「その翼…或いは羽に触れたものは、例外なく狂気に包まれ、無残な死を与え合うという…
「恐ろしいのは、それが生きたモノだけでなく、俺の様な半端者や、同類である死神達にも有効だってことだ
「…既に『死』に近い俺達が何故『奴』を恐れるかって…?
「恐れもするさ…俺達はその存在が真実だって事を知ってるんだぜ?
「あんたらの世界でも流れてただろ?世紀末の噂…『奴』はあの時期に現れなかった
「現れてしかるべき時期に、『奴』は姿を現さなかった
「ってことはいつ現れてもおかしくないんだ…
「明日かもしれない…来週の今日かもしれない…ひょっとしたらこんな事を考えている『今』この瞬間にだって、『奴』が産まれているのかもしれない…
「…俺は、人間だった。『死』に切れてねぇから、今もまだ人間に限りなく近い
「『死神』だって同じさ。殆どが人間出身だ
「機械的に忠実にパターンが決定しちまってる俺達は、『安息』を感じている
「『安息』の体現者、『平和』の体現者なんだ…
「手前らの世界で当て嵌めて考えてみろよ?
「すべき事を当然のように抵抗せずに行っていて、それをしているだけで『生』きていられんだぜ?
「それを壊されるなんて…それこそ冗談じゃねぇよ…
「格好つけて喋っている時にうっかり『羽』に触っちまって、哄笑しながら消えちまったり
「頓珍漢な理屈を並べ連ねて無駄な殺生を行っちまったり、酔っ払いより酷い有様で泣きじゃくりながら崩れ果てちまったりするかもしれねぇんだぜ……?
「それがリアルに、必ず起きる事であると知っていて、恐れねぇ人間がどこにいるってんだ?」

 …よく判った
 彼らが…『使命』を持っていても、感情から逃れられない…己の利を尊び、原始的な恐怖の念を忘れる事は出来ない、俗物的な人間そのものである事が。

「…そーゆー事だ。随分と失望したみてぇだな…?だがわかっただろ?
「俺達は、憧れなんて持たれるべき存在じゃねぇ。
「死に損ないのくたばり損ないだ…
「せめて己の『死』に華々しい意味合いを…
「気持ちはわからなくは無いが、しかし結果はこれなんだぜ?
「やめておけ。こんな存在には、ならない方がいい
「潔く成仏しちまえる奴の方が、『死神』なんかよりずっと格好良いと思うぜ?なあ…?」

 俺にはわからない…
 そもそも、『彼ら』に憧れを抱いてしまった時点で、俺のような人間はすでに死に損ないなのかもしれないのだから…
 彼の話を、絞り出すような声を聞いても、燻り始めてしまった欲求が、静まりはしなかったのだから …

 …これは夢だ。所詮はただの夢。真剣に『夢』について悩むなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

…どうしよう…
 

…どうしたらいい…

…だってこれはきっと現実なのだ…

「いーや、これは夢さ。あんたがいびき掻いて鼻提灯出しながら見ている夢だ。
「…俺の話は終わった。さあ、目を醒ませ!

「願わくば……

”手前が『奴』に、ならない事を…”

 彼の言葉を、最後まで聞き取る事は出来なかった
 俺の姿はどんどん薄くなり、『空間』の紅と完全に交じり合った所で、消失した。

ーREAL SIDEUー

長い長い夢の話はこれで終わり
目を醒ました俺は
何やら複雑な感情を残した夢の詳細を必死に思い出そうとした
…無意味で、無価値な行動だ…

小一時間ほども、ヤドカリのように布団を羽織って『夢』を求めたのは
俺が心のどこかに『希望』を持ち始めていたから…
それは決して眩いものではなく
…寧ろ黒く昏く、そして深紅のモノであったのだけれど

…俺はそれを育てる事に決めたのだ
頼り無い拠り所だが、信じる事に決めたのだ…

…そして俺は
欠かすことなく必ず毎日
紅を
流し続けた

そうする事が
俺の『使命』だと感じていた…

to be the next cantata…coming soon??



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