黄色の神様


その指先からは、煌く幾千の光が、シャワーのように降り注ぎます。
光のシャワーを浴びた小さな花は、『無色の花』から『黄色の花』に名前を変えました。

ここはまだ、色々なものが満ち足りる前の世界。神様たちは『下界』と呼ぶ、まだまだ未熟な、しかし活気に溢れた世界です。 沢山の神様たちが今日も忙しく働いています。
黄色の神様は汗だくになりながら、それでも休むことなく色んなものを黄色に染めていました。 黄色の神様は色んなものを黄色にするのが大好きでした。 それが「主」から与えられた彼の仕事でもありましたから、彼は毎日が楽しくて仕方ありませんでした。


ある日、彼が奥深い森の小さな湖の傍にいたアヒルの子供達を黄色に染めていると、向こうの方に人影が見えました。 こんな所にまで来て仕事をしているのは自分くらいだと思っていた黄色の神様は少しビックリしながら、 湖の向こうをそおっと覗きました。
漆黒の髪、血管が青く見える程透明な白い肌、長い手足。そこに居たのは紛れも無く、青の女神でした。 青の女神は湖のほとりに跪き、一心に祈っています。
「一体、青の女神は何をしているんだろう。」
黄色の神様は青の女神にすっかり見とれていました。
するとどうでしょう。青の女神の座っている、丁度その辺りから湖の色が変わっていくではありませんか。 そこから変わって行く湖の色は、彼女の姿と同じくらい、美しいものでした。
跪き、両の手を組み、俯く。その姿はどんな花より美しく、繊細なものでした。 長い睫毛が震える度、彼女の額から汗が流れ落ちる度、森全体の空気が歓喜に震えているかのようです。
青の女神を中心とした一角は、まるでそこだけが切り取られた別世界のようです。 そこだけが、静謐な空気に満たされています。 耳が痛くなってしまうほどの静寂の中、黄色の神様は我を忘れて青の女神に見入っていました。
「あのさぁ、っつーかそんなに見られるとキモいんだけど。」
黄色の神様には、その言葉は誰が言ったのか分かりませんでした。 青の女神の桃色の唇が動くのを見ていたにも関らず黄色の神様には分からなかったのです。
ゆったりとした動作で立ち上がり、膝についた土ぼこりを払い、 自分が染めた湖を満足げに眺めるその姿からは、美しさだけではなく芯の強いしなやかさが窺えます。
やっぱり今のは空耳かな。黄色の神様がそんな風に思っていると、
「なんとかいったら。ん?あんたは唖なの?」
黄色の神様を見据えて、今度はハッキリと大きな声で青の女神は言いました。
水色の瞳はその美しさにそぐわない程の冷たさを放っています。
黄色の神様は何と言ったらいいのか分からず、ただ吃驚して、青の女神を見つめる事しか出来ませんでした。 冷たい瞳に見つめられると、言葉が上手く出てこないのです。 黄色の神様は氷柱が心に突き刺さっているかのような痛みを感じました。
けれど、その冷たさの中に、何か寂しげな表情が潜んでいるのを、黄色の神様は見逃しませんでした。
「あなたの事が好きになりました。俺と結婚してください。」
気付いた時にはもう、その言葉を言った後でした。口を手で覆っても言ってしまった言葉は戻ってきません。
青の女神も、驚いています。
目を大きく見開き、あっけに取られた驚きの表情は美しさや冷たさと又違う、幼さの残る可愛らしい表情でした。 今出会ったばかりなのに、どんどん好きになっていく。 この人と、ずっと一緒に居たい。黄色の神様はそんな自分の思いを強く感じていました。
しかし、青の女神はすぐにその顔をまた、冷たい、意地悪い笑みに変えると、ぷいっと風に乗って行ってしまいました。
青の女神がいなくなった深い森には、鳥の声一つありませんでした。 ただ、黙ったままのアヒルの子供達とぼんやり立ち尽くす黄色の神様がいるだけでした。


しかし、そんなことで諦める黄色の神様ではありません。
黄色の神様は青の女神の居所を探しました。あの奥深い湖にも、何度も行ってみました。しかし中々、青の女神は見つかりません。
毎日、両手一杯にプレゼントの黄色い花や、黄色い果実を抱えて、黄色の神様は青の女神を探し歩きました。 当てなんてありませんでした。とにかく手当たり次第に探すしかありませんでした。

そうこうしているうちに『下界』には着々と色がついていきました。
黄色の神様は青の女神を探すのに一生懸命でした。 そして、あの日以来自分の色をこの世界に残していない事に気が付いていませんでした。
いくつかの果実、いくつかの花。いくつかの小鳥に自分の色を与えたっきりなのです。 気付いた時にはもう、辺りを見回しても色のついていないものなんてありません。
それでも、黄色の神様は青の女神を探す事を、止める事が出来ませんでした。

「あの人に会えないのなら、せめてあの人の、青色を見ていたい。」
すっかり元気をなくした黄色の神様は、空と海が一番よく見える崖に行きました。
潮風が黄色の神様の体を包みます。冷たい風に吹かれると、慰められるような、寂しいような気持ちになります。
崖の先っぽに腰を下ろしました。海と空を眺めていると、気持ちが静かになっていくような気がしました。
「あたしのこと、探してんだってねぇ。あんた。」
あの日と同じように、突然声が聞こえました。
「そういうの気持ち悪いからさぁ、マジで。もう止めてくんない?」
辛らつなセリフとは裏腹に、その瞳は以前のような冷たさはありませんでした。無愛想な顔には、隠せ切れない照れが垣間見えます。
「何故、俺があなたを探してる事を知っているんですか?」
「空から見てた。あたしの色がついてるとこは大抵あたしの縄張りだからさ。」
青の女神は黄色の神様の隣に腰掛けました。そしてポケットから煙草を取り出すと細長い指に挟んで火をつけました。
「僕と、結婚してくれませんか?」
ずっとずっと、用意していた言葉を恐る恐る口にしました。青の女神はどこか遠い所を見ています。
波の音だけが絶え間なく聞こえています。
黄色の神様は足元に咲いていた一輪の蒲公英の花を千切って、青の女神にそっと差し出しました。 青の女神は「はい」も「いいえ」も言わずに蒲公英の花を、少し乱暴に受け取りました。



「主」の命令で、仕事を終えた神様達は『下界』から『神様の国』に帰ることになりました。
自分達の故郷に帰ってきた黄色の神様と青の女神は、喧嘩をする事も無く、幸せに暮らしていました。
しかし、その幸せは永久に続くものではありませんでした。
黄色の神様は色んなものを黄色にするのが大好きでした。
しかし、『下界』では青の女神を探すのに一生懸命で、少しの物しか黄色に染める事が出来なかったのです。 まだまだ両手に力を持て余した黄色の神様は、時々『下界』に行っては少しづつ、色んな物を黄色にしていました。
もう『下界』行ってはいけない事は知っていました。 しかし、悪いことをしていると言う罪悪感より、色んなものを自分の色に染めたいと言う欲求の方が勝っていたのです。
ある日、黄色の神様はいつものように「主」に見つからないようにそっと風に乗って『下界』に行こうとしました。 しかし丁度見回りに来ていた門番に見つかり捕まってしまいました。そのことはすぐに「主」に伝えられました。 しかし、何故か「主」は黄色の神様になんの罰も与えず黄色の神様の家の周りの見回りを厳重にしただけでした。
「あんたねぇ、いいかげん止めろって言ってんだから止めなさいよ。あんたの仕事は終わったの。」
青の女神から叱られても、この思いはどうにも止まる物ではありませんでした。
しかし、もう『下界』に降りる事は出来ません。どうする事も出来ない黄色の神様は諦める術を探す事にしました。
大好きな青の女神とデートしました。その時は気が紛れるのですが、それでも家に帰ると彼の両手には黄色い力が漲り、 我慢するのがとても辛いのです。
料理に凝ってみました。アウトドアにも挑戦しました。 とにかくそこいら中を走ってみたり、スポーツに打ち込んだり、色んな事に挑戦しました。 もともと器用で、体格にも恵まれ、運動神経もいい黄色の神様はあっという間にすべての事が完璧に出来るようになりました。
しかし、両手の疼きがなくなることはありませんでした。


彼は20年、色んな事で気を紛らわしながらとにかく耐え抜きました。
そして気が付けば、『神様の国』の中でも皆に頼られるリーダーになっていました。何せ黄色の神様はなんだって出来たのですから。
しかし、我慢はとうとう限界に来ていたのです。
彼もその事に気がついていました。 そこで、たったひとつだけ、彼の持っている全ての力を使って黄色に染めてしまおうと決めました。
溜まりに溜まった黄色の力は、下手をすれば爆発してしまう恐れもあります。 そんじょそこいらの物に今の彼の持つ全ての力をぶつければ、 そこから力が溢れ出し『神様の国』全てを黄色に染めてしまう危険さえあるのです。 そうなれば今度こそ『主』にどんな罰を食らうか分かったものじゃありません。
さんざん悩んだ挙句、黄色の神様は青の女神の一番大切にしていた手鏡を、黄色に染めることに決めました。
青の女神は空と海を自分の色に染める事が出来たほどの力の持ち主です。 その彼女の持ち物なら、まして一番大切にしているものなら、今の彼の全ての力を注いでも耐えられるだろう。そう思ったのです。
あくる朝、黄色の神様は青の女神の目を盗み、彼女の化粧ポーチの中から小さな青い手鏡を持ち出しました。
あの気の強い青の女神の事、黄色の神様には相談する勇気なんてありませんでした。 ポーチを開く彼の両手は、緊張と歓びからぶるぶると震えていました。
青の女神に見つからぬよう、黄色の神様は家の裏にある山の中に行きました。
「ここまで来ればもう大丈夫だろう。」
椎の木の根元に腰を下ろし、黄色の神様は生唾を飲み込みました。
改めて眺めてみると、その手鏡にはとても美しい細工が散りばめられていました。 小さな宝石はキラキラ輝き、黄色の神様の目を楽しませます。 しかし、黄色の神様には手鏡の美しさに見とれているような余裕はありませんでした。
黄色の神様はゆっくりと、今まで溜め込んでいた力を開放しました。
小さな青い手鏡は、眩い金色に包まれました。流れでる力は留まる事をせず、彼の全身さえも覆ってしまうほどでした。
黄色の神様は言葉にする事も憚られるような快感に、心も、体も震えていました。 金色の光に包まれていると、彼は青の女神に出会った頃戻っていくようでした。 力が、若さが、黄色の神様の体の隅々まで行き渡っていくのです。
奇跡のような時間は、一体どれくらい続いたのでしょう。 気付けば彼の手の中には今まで見たことの無い色に染まった手鏡が残っていました。 青でも、黄色でもないその色は、とても綺麗な色でした。 まだ熱の残った小さな《新しい色》の手鏡をポケットに仕舞うと、黄色の神様は自分の家へと戻っていきました。

黄色の神様は、本当は知っていました。
青の女神はもう、ここには居ないと。
何故なら空は、青の女神の縄張りなんですから。




  あれから又、20年の歳月が流れました。
もうお爺さんになった黄色の神様は、今までずっと、青の女神を待ちつづけていました。 新しい色に染まった手鏡を、青の女神に見て欲しかったのです。いいえ、本当は自分の事を許して欲しかったのです。
しかし、いくら待っても青の女神は帰ってきませんでした。
黄色の神様は20年待ってそれでも帰ってこなかったら、この手鏡は『下界』に捨ててしまおうと決めていました。 今日がその、20年目の日でした。
「少し名残惜しいが、これは俺が決めた事だ。今日、この手鏡を下界に捨ててこよう。」
黄色の神様は新しい色に染まった手鏡を持ち、楓の木で作った杖を突きながら『神様の国』の端っこまでやってきました。 強い風が、黄色の神様の脇を吹き抜けます。空だけが美しい青を湛えています。

ふいに、黄色の神様は手鏡に自分の顔を映しました。
彼は青の女神が消えてしまってから、なんとなく鏡を見ることを止めていたのです。 しかし、最後に自分の顔を見ておくのも悪くない気がしたのです。
そこには見知らぬ、皺くちゃのお爺さんの顔がありました。醜い顔がこちらを覗き込んでいるのです。
黄色の神様はあまりの驚きに声を出す事も出来ませんでした。
「こんなにひどい顔になっていたなんて・・・。」
黄色の神様は、涙を流さずには居られませんでした。
しかし、涙は一粒たりとも流れる事はありませんでした。 年老いた黄色の神様は皺くちゃの顔を更に皺くちゃに歪め、ひどく曲がった背中をぜいぜい喘がせるのがやっとなのです。 強く握り締めた《新しい色》の手鏡をひゅーひゅー鳴る喉元に押し付けました。
強く、強く抱き締めました。
青の女神と出会った頃の事。色んな物を黄色に染めた事。青の女神と過ごした日々。今まで過ごしてきた時間が走馬灯のように 頭の中を駆け巡りました。そして、そこには必ず青の女神の怒ったような照れた顔がありました。
そして、黄色の神様は初めて気がついたのでした。

最後の別れを済ませると、黄色の神様は新しい色の手鏡を『下界』に投げ捨てました。 落ちてゆく様を見ることなく、黄色の神様はとぼとぼと、もと来た道を帰ってゆきました。

手鏡は凄い速度で落下しながら、太陽の光をいたるところに反射させました。
青の女神と黄色の神様、2人の神様の力が宿った鏡です。
くるくる回りながら落ちていく鏡は反射した太陽の光と共に、青でも黄色でもない《新しい色》を『下界』にばら撒きました。
まだ始まったばかりの世界は、その時ようやく最後の色に染められたのです。 温かく、優しい。そして少し冷たい色は、この世界を美しく包みました。




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