---Insects---
from sai

no.1...燕の羽と彼女の蝶と


   もしも輪廻転生があるのなら、 来世はせめて人生を全うしたいものだ。

   虫ピンで羽の四隅を展翅され板に張りつけられた今でも、 いや、今だからこそそう思っているのかもしれない。
   僕を毎日毎晩、口元を緩ませて微笑みながらガラス越しに 覗き込むのはまだ年端も行かない子供だ。 愛おしそうに、自分の所有物だということを確認するかのように眺めている様は あまり見られる立場にとって愉快なものではない。 だけど、どうして憎いという感情を僕はこの子供に対して持てないのだろう。 青空の下、低空飛行でゆらゆらと飛んでいた僕を真っ白な網で捕えてそのまま 冷蔵庫に突っ込み、不器用な手つきで僕を展翅したのは彼―――いや、彼女なのに。 その甲斐あって、僕は傷もさほどなく漆黒の羽の鮮やかな文様もほぼそのままで こうやって保管されることとなった。僕は、たぶん死んでいるだろう。 生きている方がおかしいというものだ。こうやって、意識だけが身体の周りを 取り巻いてるような状況は、果たしていいのだろうか、悪いのだろうか。 でももう僕には、宙を舞う羽根も赤い花を探す触覚も無くなってしまったしね。

   ―――またドアを開けてこの部屋に入ってきたのは彼女だ。 まず真っ先に彼女は僕の入っている引き出しを開けて僕を確かめる。 それから、飽きるまで僕を眺めている。それは10分のときもあるし、2時間のときもある。 彼女は僕に何か呟き続けていることもある。それは他愛もないことで、 好きな生き物の話だったり、嫌いな食事の話だったり、僕の存在を快く思ってない 彼女の母親についてだったりした。そんな時僕は黙って聞くことしかできないけど、 何故だかとても満たされたような、幸せな充足感を感じる。 時々哀しそうな顔をして俯いたきり僕を仕舞ってしまうこともある。 そんなとき僕は一晩中彼女の身に起こったことを想像してみる。 大抵は母親とのしょうもない確執とか、友達とのちょっとした諍いが原因らしいのだが、 僕はもっと夢想的なことを想像してみたりする。例えば・・・・・・。

   彼女は歌を歌うこともある。それは風が葉を擦る音や、花が開花するとき叫ぶ 強い波長とも丸っきり違って、最初は僕にとって他の虫の羽音のように 不愉快なものだったけど、いつしか慣れてしまった。 それは不思議な上下感覚を伴った、メロディーと呼ばれるものだった。 聞くと怯えずにはいられない鳥の鳴き声に少しだけ似ていると思った。 だから僕はたまに身体を竦めてしまうけど。


   彼女はいつまで僕を側に置いているつもりだろう。 気付けばそればかり考えている。 不安なのだ。彼女が僕を何のために採取したのか、不思議でならないから。 だって最初、僕は彼女を単なるコレクターだと思っていたから。 でも、引き出しや部屋には僕以外の虫は見当たらない。 だから僕はいずれ捨てられるか、そうでなければ――――誰かが。
余り考えたくないな。



   少し外が騒がしい。
   珍しく彼女の母親が部屋にやってきて、 彼女と話をしているのが引き出しの隙間から漏れてきたんだ。 仲が良さそうな母娘。なんだか妬けてしまうな。 何を話しているのか良く聞き取れないけど、きっと他愛も無いことだろう。 その証拠に、ほら、彼女は笑っている。 幸せそうに。
   ―――僕も、幸せになりたいな・・・
   永遠に彼女の側にいれば、それも叶いそうな気がする。
   たぶん、僕は彼女のことが好きだから。


   もしも輪廻転生があるのなら、来世も、彼女の側に――――










   「××ちゃん、仕舞っておいた喋々はどうしたの?」
    「まだしまってあるよ、ママ。あんまり綺麗だから、 宗太の誕生日にあげようと思ってるんだ」
    「プレゼント代わりってわけねぇ。喜ぶかもしれないけれど、 ママは早くあげちゃった方がいいと思うわ。宗太もお腹空かせてるんじゃない?」
    「大丈夫だよ、あと2日だもの。ねー、宗太?」

   少女は微笑みながら目の前の大きなガラスケースに額をピタリとくっつけ、 中に居る宗太―――そう、もうすぐ生後1歳になる『宗太』に呼びかけた。 そこには、張り巡らされた細い細い糸がきらきらと光を受けていて、 その中央では体中に細かい薄茶色の毛をびっしりと生やした大きな蜘蛛が微かに、 ねだるように身体を揺らしていた。

End.




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no.2"ふたつの景色"